あのねっと 今号の特集テーマ 子育て、親育ち  

特集3 お互いの違いを認めながら、親と子の今の関係を楽しみたい。
かみや・あきひろ
「こどもの城」(国立総合児童センター)のプレイ事業部長として12年間活動。その後、短期大学や専門学校の非常勤講師をしながら大学院で学び、1999年から現職。
どうやって遊べばいいの?
 「子どもと遊びたいけれど、どうやって遊んでいいかわからない」という親の声を聞きますが。

 確かに、子どもの遊びや、遊びへのかかわり方がわからなくなっている状況はあります。たとえば、お母さんから「うちの子は、積み木を積んで遊ばない」と相談されたことがあるんですが、子どもを見るとちゃんと遊んでいるんですよ。というのは、親としては、何か形をつくることが遊びと思うかもしれませんが、最初は積むのではなく、積んでくれた積み木を崩すことが遊び。だから、子どもはまた積んでほしくて積み木を差し出してきます。
 また、「いないいないばあ」をお母さんにやってもらうと、初めから顔を隠して「いないいない…」とやる人が多い。でも、本当は「何々ちゃん、見てごらん」と言って、目と目をちゃんと合わせてから「いないいない…」と言葉をかけ、顔を隠すんですね。そうすると、子どもは「何か、なくなっちゃった」と思い、その思うちょっとした「間」があってから、「ばあ」と言われて顔が見られるので、「ああよかった」という気持ちになって笑う。だから、決して変な顔をすることではないんです。そして、「あ、笑ったね」と言ってスキンシップをしてあげることまでが、一連の遊びだったはずなんです。
 でも、遊び方がわからないのも当たり前です。なぜなら、昔のように地域のおじいちゃん・おばあちゃんが子どもと遊んでくれて、その様子を見て親も覚えていく、という環境ではなくなっていますから。また、育児雑誌はハウツーで書かれているので、先ほど言った「間」のようなことまでは伝わらない。だから、「遊び方を知らない」と親を責めるのは間違いですし、自然に学べる社会ではなくなっているのであれば、意識的にそうした遊びの本質を伝えていく必要があります。

遊びが大切なのは、なぜ?
 いまお話に出た「遊びの本質」について、もう少し詳しく知りたいのですが、何か例をあげていただけますか。

 遊びを教えるというと、どうしても遊びの種目をあれこれ教えることになりがちです。でも、そうではなく、遊びの本質、すなわち遊びのなかにある「大切なもの」をいかに伝えるかが、いま求められていると思います。
 たとえば、絵本の読み聞かせは、子どもを抱っこして読むのがいいと言われますが、それはなぜか。試しに、大人同士でやってみるとわかります。体験したお母さんに「後ろの声はどう聞こえた?」と尋ねると、「体から聞こえた」と。「どんな気持ちがした?」と聞くと、「やさしい」「あたたかい」「懐かしい」と答えます。つまり、ただ言葉をしゃべることではない親子のコミュニケーションが、そこに集約されているんですね。
 そして、繰り返し読んでもらうことによって、子どもは新しい発見をしたり、「ぼく、知ってるよ」と思う気持ちが深まって、さらに絵本のおもしろさを感じるようになっていきます。だから「この絵本はもう読んだから終わり」ではないんですね。絵本の世界を子どもに楽しんでもらうには、読んであげる人自身が楽しめる絵本を選ぶことが大切です。赤ちゃん絵本のなかには、文字が一切なく、読む人がお話をつくって語りかけるものもありますが、文章が全部書いてあるほうが楽しいと思う人は、そういう絵本を選べばいいと思いますよ。

短時間でも一緒に集中して
 絵本の読み聞かせの他に、親子の遊びで大切にしたいことは何でしょうか。

 遊びは、道具や材料がなければ楽しめない、というわけではありません。赤ちゃんの遊びはごく日常的なことのなかにありますし、親はイタズラと思っても、子どもにとっては遊びということもあります。スーパーでもらった傘袋1枚でも、空気を入れて飛ばしたり、チャンバラをしたりして遊べば、そこに親子のやりとりが生まれます。あるいは、砂遊びをしていると、子どもはわけのわからないものをつくって「はい」と差し出してきますよね。そういうときには、子どもの世界に入り、「ありがとう。パクパク。ごちそうさま」と言って気持ちを共有してあげれば、子どもは満足します。
 要は、子どもと時間を共有することが大事。短い時間でも集中して一緒に遊べば、濃密な遊びの時間になるはずです。そして、そうした体験の積み重ねによって、親が親になっていくんですね。また、子ども自身も小さいころからの遊びを通して、転んだときに手をつくといった体の使い方を覚えたり、理科的な能力につながる気づきを養ったりします。遊びと簡単に言いますが、実は遊びこそが次の世代をつくっていく大事な要素であることを、再認識する必要があると思いますね。

親同士の輪が遊びを広げる
 公園では、子どもが遊んでいても親はケータイでメールをしたり、親同士がかかわりを持たないという光景を目にしますが。

 お母さんたちは、本当は子どもとかかわりたいと思っていても、他の親たちの前では「ちょっと変わってると思われたら嫌だから」と、自分の行動をセーブしてしまうのかもしれませんね。私が担当した親子教室でも、私が「一緒に声を出して」「自由にやって」と呼びかけて初めて、お父さん・お母さんは「声を出していいんだ」「自由に遊んでいいんだ」と気づく。日本の風潮として、常に他人と自分を比較して「標準でありたい」と思うところがあるから、一歩を踏み出せないのかもしれません。
 でも、子どもとかかわりたいなら、勇気を持ってもっと自分の子どもとかかわり、場合によっては他の子どもとかかわってもいいと思います。たとえば、1本のロープを出して「これで何ができるかなあ」と遊び始めれば、よその子どもも「あのおばちゃん、おもしろい」と思ってくれるだろうし、親も「それ何ですか?」と興味を持ってくれるはずです。
 そういう意味では、親同士が語り合うことも大事ですよね。「だれか仲立ちしてよ」と待っていても何も始まりませんから、自分の子どもが他の子どもとかかわり始めたら、親も他の親と関係をつくっていく。「お宅のお子さん、何歳?うちの子が一緒に遊んでいるけど、いいですか?」と声をかければ関係が生まれます。そういう関係づくりによって親も子も結ばれていけば、もっと楽しい遊びができると思いますね。そのためには、親自身が遊び方を知らないと「一緒に遊びましょう」と言えませんから、児童館や子育て支援センターなどへ行っていろんな遊びを覚えてくることも必要でしょう。  子どもは親を見て育ちます。遊びの力があって対人能力の高い子どもに育てたかったら、親自身が自分の姿で伝えていくことが大切ですね。

親になるには時間が必要
 他に、子育てや子育て環境について、お考えがあればお願いします。

 赤ちゃんをサーモグラフィで撮っていると、お母さんが近づいても体温は変わりませんが、お父さんが近づくと上がるんですよ。なぜなら、赤ちゃんにとってお父さんは、自分の知らない匂いを持った刺激的な存在だから。そう考えると、お父さんはお父さんなりに、子どもとかかわればいいのではないでしょうか。子どもにとって、お父さんが少々手荒く扱ってくれることは、ワクワク・ドキドキ体験になるわけですからね。ただ、そこで気をつけたいのは、まだ首がすわっていない赤ちゃんを振り回したりして、危険な場合があるので、そういう知識を伝えることが必要だということです。
 また、親子教室では、子どもの様子をよく見ていないお母さんがいますが、せっかく来たわけだから遊びに参加して、子どもとのかかわり方を身につけてほしいですね。親子教室のスタッフも最初に「この教室に参加するときは、こういう約束を守ってくださいね」と伝えることも必要でしょう。
 親になるには時間がかかる時代です。子どもの遊びの本質とは何か、親子の関係を支えていくとはどういうことかを見極めて、それぞれの親に必要な支援が届くようにしなければいけません。そのためには、子育て支援の専門家たちを社会全体で育てていくことも重要だと思いますね。