1996年度アートと遊びと子どもをつなぐプログラム

◎目の中に僕が映ってる!ー体験・アートの世界ー[江坂恵里子]

目の中に僕が映ってる!これは“見ることの不思議”を体験するプログラムです。
子どもたちは、向かい合った子どもの目をじっと観察し、その向こうに拡がる宇宙を描いて版画に仕上げるものです。
ひとの目の中には様々なものが映ります。
じっと見つめるとまるで鏡のよう。自分の顔も映っています。目は何でも映す鏡です。それに目は人の気持ちをとてもよく伝える名優です。
まず、子どもたちはお互いに大きく開いた目、泣いた目、笑った目を演じてみます。子どもたちは、こんなにじっくりとヒトの目を見つけたことがありません。何だかちょっとはずかしいような、わくわくした気持ちで見つめるでしょう。この新鮮な発見を塩化ビニールシートに直接描いていきます。これが版画の原版になります。 次に子どもたちは、この版の上に色鮮やかな絵の具を塗ります。大きな目、小さな目、青い目、赤い目、緑の睫毛、黄色い眉・・・全く自由な発想で塗られます。出来上がったカラフルな目は、余分な絵の具を落しプレス機で写しとられます。台紙に貼られたこのカラフルな絵を見て、子どもたちは歓喜の声を上げるでしょう。お互いに見せ合い、自慢し合い、笑いこけるかも知れません。
出来上がった数百枚の子どもたちの作品は、チャレンジタワーの吹き抜けの空間に、工夫して展示されます。空間に浮かんだ子どもたちの絵は、束縛されることなく空気の流れにまかせて自由に揺れたり回転して、螺旋階段のどこからも見えるでしょう。こうして作られた子どもたちのカラフルな版画は、響き合い、会場一杯に幸せな気持ちを贈ってくれるでしょう。

◎はりがねでらくがき カルダー遊び[加藤裕三]

はりがねでらくがき カルダー遊びこのプログラムは「こども」をどこかへ連れて行ったり、何かに閉じ込めたりせず、ただ「こども」が初めから持っている心の世界へ一緒にたどり着いて、そこで何かおもしろいものをカンタンに作ってしまうことを目的にしています。「こども」がいつの間にか作ってしまうことを目的としています。「こども」がいつの間にか自分の心の中の豊かさを掘り起こさせているようなことを提案したいと思います。
まずは、材料はどこにでもある細い針金です。針金だけです。針金で、自由に、空中へらくがきしてみましょう。あの大きな体を無邪気に踊らせながら、針金の(彫刻)のようなものをあそびながら作り続けた彫刻家カルダーの世界へ、みんなを案内します。そこで、カルダーが大らかに思い描いた、自然や、宇宙や、あそびの世界を感じてください。<はりがねらくがき>であそび、みんなで愉快になるための作戦はバッチリです。まかせてください。針金を曲げる気持ちよさはどんどん伝染してゆきます。なにしろ、あのカルダーのスピリット<魂>が針金に宿り、こどもの心に宿りゆたかで素朴なモノづくりの世界が開かれるのですから。

◎センシスケープ ーぼくらのまわりにちずをかこうー[平田建夫]

センシスケープ子どもの五感を育てる遊び
このプログラムは「五官すべてに関わる体験をし、それらを子どもたちが自分の内面に結びつけることができる」ことを子どもたちに体験してもらうことを目的としています。 人間は本来、視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚の五種類の感覚を持っていますが、どういうわけか視覚ばかりを優先させて文明を築いてきました。その結果、人間の純粋経験は本来、五官すべてで味わうべきものであるはずなのに、私たちは視覚にたよるあまり、五官をバラバラに用いて世界を認識しています。特に大人は触覚や嗅覚の大切さを忘れ、土の手ざわりや風の匂いなどにあまり注意を向けません。
今、私たちに必要なのは五官すべてを用いて世界に触れ、世界を真に生きたものとして体験し直すことではないでしょうか。そしてそれは、子どもたちにとっても、大きくなってからも大人の価値観に縛られず自分の感性を大事に持ち続けるために大切なことであると考えます。
さらに、五官で感じたものを認識し、内面かされる時に使われるのが「ことば」です。ここでいう「ことば」とは、日常の言語ではなくコミュニケーションの手段全般や、身の回りの世界の区分けといった人間の本能的行動などを全て含んだ広い意味合いを持った「ことば」のことです。
また、このプログラムを感覚の遊びに終わってしまうことのないよう、子どもたちの作業における達成目的を設定し、五官を「ことば」で綜合するための手段として新たなキーワード「地図」を提唱した上で、それに基づいたワークショップを行うことを提案致します。
■「地図」とは?
ここでいう「地図」とは、決して学校の社会科の時間に作るような絵地図のことではありません。子どもたちが、五官に関わる体験をした時に、それらの体験をかたちにして表現し、結果的に自分のまわりの空間そのものをことばとイメージによってあらわした表現物、それを地図と呼ぶわけです。
いいかえれば「感覚の視野=センシスケープSensesScape」、「熱触覚風景=サーモスケープThermoscape」、「嗅覚風景=スメルスケープSmellscape」というように表現し、それらを統合して呼んだ言葉であるといえます。

◎まる・てぃ・ぷる・あーつ[前田ちま子]

まる・てぃ・ぷる・あーつ長さ・重さ・広がり(面積)・容積といった知覚感覚や環境の基礎となる概念、そして大地や空、あるいはその間にある自然物や人工物に対する認識を、身体的な体験を通して認知することを目的としたワークショップです。文字や画像の処理による情報提供によって頭で知るだけでなく、色彩、形態、触覚(テクスチャー)などのアートの基礎要素を用いたインタレーションや参加型展示物によって設定された環境の中から、参加者みずからが探索するものです。仕掛けられた装置に反応するのではなく、子どもたちが仕掛けることから始め操作し、変化させることによって、より細やかな「気づき」の感覚を研ぎすまします。子どもが遊びに興じ、物や人や環境に反応して、自らを表現し、相互にかかわることへの積極的な行動やダイナミズムは、21世紀のアート・シーンのフラッシュ・フラッシュ・バックのように、身体そのもの、あるいは心で感じる「人類の表現」として映ることでしょう。今回の企画は「知覚の概念をアートを通して体験する」総覧です。それぞれのプログラムは、個別それ自体で成立させることも可能ですが、全体を一つの環境に作りあげることによって、複合的な知覚認知を各個人のレベルでアート体験できるものです。

◎音の実(種の音具)のなる樹
ー探して拾って作って実のらせて土に還す(育てる)プログラムー
[森 由紀夫]

音の実(種の音具)のなる樹自然に親しむ心を育てたい
地球上の様々な国では、独特な景色や“モノ”、“ヒト”に出会うことができます。
遠く離れたところ(国)の暮らしや風景を見れば容易に誰もがそのことを実感できますが、実は注意深くみれば、すぐ隣の街でも少しづつ違った様子を発見することができます。かつて、日本が水と緑に恵まれた美しい国であったとき、谷あいごとに様々な生活習慣や、個性的な景色が見られたといいます。それは、人々の暮らしが、今叫ばれている“自然との共生”そのものであったからでしょう。春、夏、秋、冬。植物は季節ごとに種、花、葉、枝へと常にその姿を変えていきます。そしてその種子や実の形や色の多様性は大人である我々にも驚きを与えます。このプログラムは、まず身近な野山に出て材料となる種子や樹の枝を採取することからスタートします。普段は見過ごしているような木の葉でさえ、音具(音の出る器具)づくりの立派な材料になります。そして、自分の手と足で集めた材料を使って、自然の様子を注意深く観察しながら種子をイメージした音具や音の実のなる樹などの作品を作ります。出来上がった作品にひとつとして同じものはなく、それぞれ違った色や形、そして今まで聞いたこともないような自分だけの音を楽しむことができます。このプログラムを通じて、子どもたちに豊かな郷土の自然に触れ、創造力を刺激し、情操を養っていくことにつなげていきます。

◎風と友達[吉村 弘]

風と友達こどもは風の子と言われてきました。元気のいい風、風はさまざまな季節を運んでくれます。風は目には見えないし、音もしない。なんとなく感じるもの。だからこそ新しい風を感じたときこそ、喜びも大きくなります。ここでは、「目に見える風」「耳に聞こえる風」「五感で感じる風」から風のさまざまな表情を見つけ出していきます。題して「風とともだち」。
五感で感じるコミュニケーションは、自由な発想を育み、遊び心が広がれば広がるほど、心が豊かになり、人の気持ちがわかるようになります。とは、いっても人の心と風は、どちらもとても気まぐれです。どこかとらえどころがないのも、共通しています。 だからこそ風とともだちになっていいところをたくさん感じ取ってみましょう。私たちが住んでいる地球をとりまいている要素のひとつである「風」をとおして、いろいろなイマジネーションを働かせるプログラムを考えてみました。
遊びの導入部分として、(風をとらえる装置)(風を感じる装置)(風と遊ぶ装置)(風をつくりだす装置)を館外、館内に設置し、いつでも誰でも接するようにします。ワークショップでは、風の音をつくり出す楽器や音具、風のうごきが身じかに感じられるモビール、風の音を聞く集音器などを制作し、体験するプログラムをおこないます。ここでは、できれば身じかにある素材を使い、応用がきき、自分なりのイマジネーションが広げられることを目指していきます。