あのねっと18号今号の特集テーマ 子育て家族のお父さん
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 いま娘は3歳、息子は1歳です。仕事の都合で家族と一緒にすごす時間は少ないですが、娘はよくお風呂に入れているんですよ。子どもの頭を洗うとき、ふつうはあお向けにして顔に泡が着かないようにしますよね。でも、ぼくはいつまでもそんなふうにしてちゃダメだと思って、子どもを立たせて頭から体まで泡だらけにして、洗車みたいに一気にガーッと洗う。娘は、目をギューッとつぶって辛抱しています。それでも娘はぼくと一緒にお風呂に入りたがるし、今では自分で頭も体も洗えるようになりました。息子のほうは、歩き始めて何でも口に入れたがる時期ですね。
 ぼくはもともと心配性で、先に調べるタイプなんですよ。だから、結婚したときには、まず産婦人科がどこにあるかを地元の友だちに聞きました。妊娠中の健診はその産婦人科で受け、出産は愛知県にある嫁さんの実家に帰ってしました。嫁さんの実家は農業をやっていて、空気のいいところなんですね。生まれて1カ月ぐらいの生活環境が、アトピーになるかならないかに影響すると聞いていたので、出産後もしばらく実家ですごさせました。それに、嫁さんは4人姉妹で、ふたりの姉には子どもがいていろいろ詳しいので、ぼくが留守がちな東京で産むより心強いだろうと思いましたから。
 また、嫁さんの実家は熱心に農作物の品種改良をしていて、トマトはよく金賞をもらうほどで、すごくおいしいんですよ。食べ方も、1センチぐらいにスライスし、塩をふって2分待つのが一番おいしいそうです。ぼくは昔から粗食で、高級なものではなく安くてもちゃんとしたものを食べるほうがいいですね。うちの子は変わった食べ物が好きで、もちろんお菓子も好きですが、豆腐とかもずくとか、ぼくがお酒のつまみにしてるチーズの入ったちくわを食べたりしています。家族みんなで食事するのは月に何回かですが、一人暮らしをしていたときに自分で料理をしていたので、今もなぜかスパゲティだけはぼくが作る役になっています。
 最初の子のときには、子どもが熱を出して嫁さんが救急車を呼んだこともあります。でも、実はそんなに大したことはなかったり、熱が出るのも下痢をするのも体にとって必要なことだとわかってからは、あせらなくなりましたね。亡くなったお袋が「熱が出たくらいで死にはしない」と昔からよく言っていましたが、病気になっても見守るしかない場合もあるので、冷静さは必要ですよね。
 娘は以前、ぼくのパソコンを勝手にいじって遊んでいた時期がありました。「ジャーン」という起動音が聞こえて部屋に行ってみると、娘がいたずらしていたんですが、おもちゃよりもパソコンに興味があったんでしょうね。いろんなものに興味を持つのはいいことだし、そういう姿を見て日々成長しているんだなと思います。今はもう、ぼくの部屋に入ってはいけないとわかっているので、しませんけどね。
 ぼくは子どもにおもちゃを買わないんですよ。買ってあげるのはいいんだけど、大事にしなくなるのはヤバイと思うから。だから、コンビニに行って、子どもがあれが欲しいこれが欲しいと言っても考えなよと、嫁さんにも言っています。「500円だからいいや」という気持ちがあるかもしれないけど、一度買ったらまた次も欲しがりますから。
 うちはけっこう近所づきあいがあって、子どもも近所の家へよく遊びに行っているんですよ。ぼくの留守に救急車を呼んだときも、近所の人たちが心配して飛び出し、声をかけてくれたそうです。ふつうは救急車が来ても、窓からちょっとのぞいてピシャッと閉めるというイメージじゃないですか。もともとぼくも近所づきあいが大好きですし、いい環境だと思います。
 子どもには、早く自立してほしいと思っているんですよ。だから、高校生になって子どもが望んだら、留学でもさせちゃおうかなと(笑)。そうすると、あと15年ぐらい待てばふたりともいなくなって、夫婦の時間をゆっくりすごせる。結婚してすぐに子どもができたので、ふたりで居酒屋に行ったりした経験があまりないんですよ。
 子どもはかわいいですけど、嫁さんのほうがもっとかわいいし、大事にしたいですね。子どもはいずれ親から離れ、ぼくの知らない世界に行くわけだし、親よりも彼氏彼女のほうが大事になるわけですから。そういう意味では、他人のことのほうが好きになれるんですよね。だから、自分が死ぬときにも近くにいてくれるのは、たぶん血縁者じゃないと思っているんです。お医者さんや看護師さんもそうですが、赤の他人なんだけどぼくのことを一番よく知ってくれている、嫁さんなんだろうなと。
 ぼくの親父はミュージシャン、お袋はショーダンサーだったんですが、ぼくにはテレビに出る仕事をしてほしかったみたいです。だから今、親父はぼくを見て楽しんでいると思うし、お袋も亡くなるまでテレビを見て楽しんでいたと思いますね。ぼく自身は子どもに対して、基本的には元気に育ってほしいと思うくらいです。しいて言えば、ぼくは車が好きなので、息子が車の整備士とかレーサーとかになってくれたら、うれしいですねえ。老後に養ってくれとは言わないから、ぼくを楽しませてほしいですね。
(取材日/2005年1月7日)
1966年東京生まれ。幼少の頃から父親のラテン音楽を聞いて育つ。振付師・ダンサー・俳優として活動するほか、作曲・アレンジなども手がける。テレビのグルメ番組「元祖でぶや」などにレギュラー出演し、「パパイヤ鈴木とおやじダンサーズ」としてコンサート活動も行う。